明石市指定文化財 織田家長屋門 |
織田家長屋門(2008-7-20撮影)
本日は昭和45年(1970)明石市指定文化財に指定された織田家長屋門を紹介します。
住所:明石市大明石町2丁目
明石城の南西端近くの南側に織田家長屋門はあります。
このあたりは、明石城に仕える家老格の住居があったところで、織田家の他に
美濃部、嶋、縣、津田の各家があったところである。
明石の織田家は信長の叔父「信康」を祖とし、信長との仲が悪かった為、信長と敵対し
名前を津田姓として身を潜めていた。
その織田家を、江戸時代初期に松平家が迎え入れた。
その後、天和2年(1682)2月に松平直明が明石城主となり、家老格として仕えるために
津田姓で明石に移り住み、やがて、元の姓である織田家に変わった。
その後織田家は明治4年の廃藩置県まで家老職として仕えた。
長屋門は林崎の船上城下にあったものを、小笠原忠真(ただざね)の明石城築城に
合わせて現在地に移築したものである。
移築時期は元和5年(1619)頃の話である。
フィギィアスケートの織田信成さんは、織田信長七男の織田信高の子孫に当たり、
信長から数えて17代目となるらしい。