長阪寺廃寺跡(長坂寺遺跡) |
下の写真は長坂寺遺跡と書かれた木製に碑で奈良時代の瓦が出土されたと
書いてあります。(2008-7-15撮影)現在は民家の庭先に建っています。
長阪寺は奈良時代に広大な寺領を擁し栄華を極めていましたが南北朝の戦乱さらに
豊臣秀吉の三木城攻め(天正7年=1578)でほとんどが焼失してしまいました。
現在残っているのは遍照寺と延命寺である。
このあたりは古代山陽道の駅、仮称邑美駅家の跡と言われているそうです。
西国街道になってからも旅人が休んだ茶屋跡もあったようです。
下の写真は長坂寺遺跡の周辺でほとんどが田んぼでその中に民家が点在しています。
五百蔵という名前が多いようです。蔵の多い地域だったのか?と推察できます。
また細目家も名家であったのか推察しています。
長坂寺遺跡と書かれた木製に碑のある東側の植栽の様子の写真を撮ったものです。(下)
大道池の写真です(下)。この大道池の西側に長坂寺廃寺跡の上記木製の碑があります。