史跡清盛塚 |

下の写真は住吉神社側より見た十三重の塔です。

下の写真は、平敦盛の兄で琵琶の名手であった経正の琵琶塚です。

下の写真は清盛像(柳原義達の作)で昭和47年(1972)地元の清盛講の人たちの努力で
建立されました。

下の写真は、高さ約8.5メートルの十三重の石塔で「弘安9年(1286年)2月」の年号が
刻まれています。 もともとは現在より南西11メートルの場所にありましたが、
大正12年(1923)に旧神戸市電の道路拡張工事に伴い移転されました。
「清盛塚のことは、延宝8年(1680年)の「福原のびんかがみ」に北条貞時が建立したと
記されている。元禄5年(1692)の「兵庫寺社改帳」には清盛石塔の明細と、敷地十三間半に36間半と記されてあり江戸時代初期より人口に伝承されていたことは明かである。」
(以上は説明書きより部分引用)


下の写真は説明書きの絵の部分を大きく撮ったものです。
江戸後期の頃の清盛塚の様子で「神戸古今の姿」より転写したものだそうです。
説明書きには大正11年(1922)頃市電松原線の道路拡張工事の際、地下を調べた結果、
墳墓でない事が確認されたと書いてありました。
清盛の遺骨は、遺言により京都からこの近くの寺「能福寺」にはこばれたが、
いまだ、その場所がどこにあったか判明していない。
