平清盛公墓所 八棟寺殿 平相國廟 |
平清盛の生涯で国守または国司になったのは4カ国(肥後、安芸、播磨、備前)で
他に大宰府大弐にも任ぜられている。
神戸での生活は仁安2年(1167)5月太政大臣を辞したときから死ぬ前の年の
治承4年(1180)まで13年間でこの間神戸(兵庫津)は政治の中心であった。
平清盛公の墓は治承5年(1181)に能福寺の寺領内にあった太平山八棟寺殿に
平相國廟が造立されたと伝えられている。
その後平家の滅亡で能福寺も廃虚となり以降廟は再建されることもなく、その存在も
忘れ去られていた。このことを憂いたときの執権北条貞時が弘安9年(1286)2月石塔を
建て清盛公の霊を弔ったと伝えられている。
清盛の墓として考えられている地は兵庫大仏で有名な能福寺の他に下記の
とおりである。
神戸市兵庫区北逆瀬川の宝積山能福寺
神戸市兵庫区切戸町の清盛塚(供養搭)
京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町の
補陀洛山六波羅蜜寺の平清盛塚
京都市右京区嵯峨鳥居本小坂町の嵯峨山大覚寺(旧嵯峨御所大覚寺門跡)の
搭頭寺院である祇王寺の供養搭
山口県下関市彦島 の清盛塚
下の写真は中央が十三重の塔、右手奥に法眼宝篋印塔、左手奥に忠快法印塔(九重塔)
2008-8-8撮影の平清盛公墓所の全体写真です。
鐘楼側より撮った平清盛公墓所。