2008年 10月 13日
堺散策 その19 妙國寺 |
妙國寺(みょうこくじ)
住所:堺市堺区材木町東4-1-4 TEL:072-233-0369
妙國寺は永禄5年(1562)に、当時堺を支配していた三好一族の三好実林(義賢)と義賢が
帰依していた頂妙寺の日珖上人の尽力で建立されました。
日珖上人の父で堺の豪商である油屋(伊達)常言の援助も受けています。
妙國寺の名前は日珖上人の院号「妙国院」による。
妙國寺は堺での日蓮宗の代表的寺院として、堺の商人や堺を訪れた戦国武将たちの
信奉を受け、朝廷より勅願寺と定められていました。
境内の大ソテツは織田信長によって安土城へ移植されたのですが毎夜堺に帰ろうと
すすり泣き激怒した信長がソテツを切ったところ、切り口から鮮血が流れ、さすがの
信長も気味が悪くなり、妙國寺にこのソテツを返した逸話があります。
また、慶応4年(1868)堺事件で責任をとり切腹した土佐藩士11名の墓も境内に
あります。
さらに、天正10年(1582)の本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康は妙國寺に宿泊
しており、変を聞き急ぎ数少ない手勢を連れて三河へと帰国して難を逃れた。
しかし、堺で討たれたと言う伝説もある。






住所:堺市堺区材木町東4-1-4 TEL:072-233-0369
妙國寺は永禄5年(1562)に、当時堺を支配していた三好一族の三好実林(義賢)と義賢が
帰依していた頂妙寺の日珖上人の尽力で建立されました。
日珖上人の父で堺の豪商である油屋(伊達)常言の援助も受けています。
妙國寺の名前は日珖上人の院号「妙国院」による。
妙國寺は堺での日蓮宗の代表的寺院として、堺の商人や堺を訪れた戦国武将たちの
信奉を受け、朝廷より勅願寺と定められていました。
境内の大ソテツは織田信長によって安土城へ移植されたのですが毎夜堺に帰ろうと
すすり泣き激怒した信長がソテツを切ったところ、切り口から鮮血が流れ、さすがの
信長も気味が悪くなり、妙國寺にこのソテツを返した逸話があります。
また、慶応4年(1868)堺事件で責任をとり切腹した土佐藩士11名の墓も境内に
あります。
さらに、天正10年(1582)の本能寺の変の際、堺を訪れていた徳川家康は妙國寺に宿泊
しており、変を聞き急ぎ数少ない手勢を連れて三河へと帰国して難を逃れた。
しかし、堺で討たれたと言う伝説もある。






by seiyo39
| 2008-10-13 06:34
| 大阪情報
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