2008年 10月 21日
真光寺と一遍上人廟所 |
一遍上人は延応元年(1239)伊予守河野家の出身で出家し、浄土系「時宗」を開祖したことで有名である。当時は、平治の乱、源平の合戦、承久の乱と戦が続き、また、天変地異や飢饉
なども重なって、まさにこの世の末、死が巷に溢れていた時代でした。
これらの背景もあり、大衆仏教(鎌倉新仏教)が台頭した時代である。
法然上人(源空)(1133-1212)の浄土宗、親鸞上人(1173-1262)の浄土真宗、
日蓮上人(1222-1289)の日蓮宗、栄西上人(1141-1215)の臨済宗、
道元上人(1200-1253)の曹洞宗などが次々と誕生した。
一遍上人は教化のため四国を中心に16年間行脚し、病にかかったものの淡路島から
兵庫の観音堂に入ったのは正応2年(1289)夏であった。
ここで最後の説教をしそれまでの自著を焼却し「一代の聖教今日に滅尽してただ
南無阿弥陀仏を留める」と言い残した。
現在真光寺の境内を入ると左手に廟所があります。
真光寺の住所:神戸市兵庫区松原通1丁目1-62 山号:西月山
TEL:078-671-1958

下の写真は石造り五輪塔で一遍上人の墓塔で1.95m高の2段積みで造立年代は
南北朝時代(1336-1392)頃と推定されています。
県の重要文化財に指定されています。


なども重なって、まさにこの世の末、死が巷に溢れていた時代でした。
これらの背景もあり、大衆仏教(鎌倉新仏教)が台頭した時代である。
法然上人(源空)(1133-1212)の浄土宗、親鸞上人(1173-1262)の浄土真宗、
日蓮上人(1222-1289)の日蓮宗、栄西上人(1141-1215)の臨済宗、
道元上人(1200-1253)の曹洞宗などが次々と誕生した。
一遍上人は教化のため四国を中心に16年間行脚し、病にかかったものの淡路島から
兵庫の観音堂に入ったのは正応2年(1289)夏であった。
ここで最後の説教をしそれまでの自著を焼却し「一代の聖教今日に滅尽してただ
南無阿弥陀仏を留める」と言い残した。
現在真光寺の境内を入ると左手に廟所があります。
真光寺の住所:神戸市兵庫区松原通1丁目1-62 山号:西月山
TEL:078-671-1958

下の写真は石造り五輪塔で一遍上人の墓塔で1.95m高の2段積みで造立年代は
南北朝時代(1336-1392)頃と推定されています。
県の重要文化財に指定されています。


by seiyo39
| 2008-10-21 16:31
| 神戸情報
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