2008年 11月 19日
淀屋橋と淀屋の屋敷跡 |

上の写真は土佐堀川をまたぐ淀屋橋と背景は大阪市役所。
写真撮影日:2008-11-11

以下の文は大阪市中央区役所発行(平成20年3月刊)の中央区史跡文化辞典より
要約引用した。
大阪のメーンストリート御堂筋に架かる淀屋橋は江戸時代の豪商「淀屋」がつくったと
言われていることからその名がついた。
淀屋初代の常安(じょうあん)は、北浜で材木商を創業し秀吉の時代に淀川の改修工事
中ノ島の開拓で財をなした。
次いで2代目の淀屋个庵(こあん)は米市場、魚市場の開設、交易、金融業などにも手を
伸ばし莫大な富をさらに増やした。
大阪が天下の台所に発展する基礎をつくったと言われている。
その屋敷は約1万坪(約33,000㎡)の広さをもっていた。
5代目の淀屋三郎右衛門(さぶろうえもん)のとき宝永2年、1705)ぜいたくな生活は
町人身分を越えるものとされ、幕府から全財産を没収され、大阪を追われた。
没収の本当の理由は莫大に膨れ上がった大名の借金を帳消しにするたまえだったと
いわれている。
三郎右衛門は各地を転々とし京都の八幡でその生涯を閉じた。

上の写真は淀屋の碑で淀屋橋と店前での荷役作業が描かれています。
2008-11-11 撮影。
by seiyo39
| 2008-11-19 06:50
| 大阪情報
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